コラム

「マスク着用は個人判断」を機に「「日本の常識は世界の非常識」から目を覚ます

マスクの着用について、厚生労働省から次のような発表があった。
『令和5年3月13日以降、個人の主体的な選択を尊重し、着用は個人の判断に委ねることになります。本人の意思に反してマスクの着脱を強いることがないよう、個人の主体的な判断が尊重されるよう、ご配慮をお願いします。』

大切なことは、これを機に、厚労省が言っているように「個人の主体的な判断を尊重し、それぞれが自分の判断と行動に責任を持つこと」である。
戦後の日本は、個人も国も、自分で考えて判断し、行動すること、そしてその行動に責任を持つという習慣が薄くなっていたのではないか。
電車や駅などで、各人の安全確保について、アナウンスするようなことは、外国では絶対ない。空港の出発ロビーで、航空会社のスタッフは「~便の~さん、至急~番ゲートにお急ぎご搭乗下さい」と叫びながら跳び廻っている姿も、外国の空港ではありえないことである。
自国の国民の生命守ること、国土の防衛を他国に委ねる国も日本以外にはない。
「マスク着用は個人判断」を機に、「日本の常識は世界の非常識」という状態から目を覚ます必要がある、と感じている。ただ、日本は黒船のような外圧がかかるか、無条件降伏をするような事態に陥らない限り、自ら変わることは難しいだろう、とも感じている。
(写真は厚労省のHPから)
マスク着用は個人判断

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