コラム

ウクライナ危機と1962年のキューバ危機の類似点

1962年に旧ソ連がアメリカの「のどもと」であるキューバに核ミサイル基地を建設していることが発覚、アメリカのケネディー大統領がカリブ海でキューバに対する海上封鎖を実施し、核戦争寸前まで達したが、結局旧ソ連のフルシチョフがミサイル撤去することを伝え、第3次大戦勃発の危機を脱した。
今、私たちが毎日観ているウクライナ情勢の日本のメディアの報道は、欧米、特にアメリカからの情報によるものがほとんどである。
私は、外交評論家ではないが、素人なりに少し大きな眼、歴史の時間軸で冷静にみると以下のようなことが考えられる。
旧ソ連の崩壊後は、ソ連の影響下にあった東欧諸国だけでなく、ソ連邦にあった共和国の多くがNATOに加盟し、ロシアは四面楚歌の状態にある。そして今ここにきて、ロシアの「胸もと」にあるウクライナまでがNATOに加盟しようとしている。ロシアのプーチン大統領にとって、1962年のケネディー大統領と同じ恐怖感を懐いていることは想像に難くない。プーチンだって戦争を望んでいるわけではないはず。ケネディーが海上封鎖を行って「のどもと」の「とげ」を取り除こうとした手法のように、ウクライナの国境に軍隊を集結して軍事演習を行い、なんとかして自国の「胸もと」に迫ってきている恐怖の種を取り除こうとしている。プーチンとしても、実際にウクライナに侵攻することを望んでいるわけではない。何とかして戦争以外の着地点を模索しているようにみえる。それは、ラブロフ外相からの報告を聞く様子を世界向けのテレビで放映したこと、ウクライナ国境の軍隊を基地に戻す映像を発信していることからも、その心中が伺われる。ロシアと海で隔てているアメリカやイギリスとは異なり、ロシアと陸続きのフランス、ドイツの首相もその動きをみると、外交交渉で最悪の事態を防ごうとしている意図が伺われる。

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