コラム

羽田事故1年 「奇跡」の脱出、生きた教訓と重なった偶然(日経新聞)

羽田空港で日本航空機と海上保安庁の航空機が衝突した事故から2日で1年となった。海保機の乗組員5人が亡くなる一方、日航機の乗客乗員379人は炎上する機体から全員が無事脱出した。海外メディアが「奇跡」と称賛した脱出は過去の事故の教訓を生かした乗員の冷静な対応に加え、いくつかの偶然も重なっていた。
「多くの乗客は冷静に行動し、乗組員の指示に従っていた」。2024年12月に運輸安全委員会が公表した経過報告には同年1月2日に羽田空港で起きた衝突事故の直後、日航機内で大きなパニックが起きなかった様子が記されていた。
状況は切迫していた。機内放送システムが使えなくなり、客室乗務員らは大声で乗客に脱出方法を指示せざるを得なかった。火災の影響で使えた脱出口は3カ所のみ。立ちこめる煙で視界は急速に悪化していった。

事故発生から機長が自席付近に残る最後の乗客を伴って機外に出るまで要した時間は約10分。火災が客室内に広がったのはその約2分後だった。薄氷の脱出劇だった。

乗客らの証言では、客室乗務員らが荷物を持たないよう呼びかけ、多くの乗客は脱出シューターを手ぶらで滑り降りたことが分かっている。

運輸安全委は過去の事故の教訓が生きた可能性を指摘する。16年に新千歳空港で日航機のエンジンから発煙し乗客が緊急脱出する際に乗客3人が骨折するなど負傷した事故では、乗客が荷物を持って非常口に向かったため、機長らが客室に入れず脱出を指揮できなかった。

日航は新千歳の事故後、乗客向けの安全ビデオを改訂し、緊急時に手荷物を取り出さないことを強調。地上職員らも参加する緊急脱出訓練も実施した。

経過報告によると、事故機には同社のグループ社員2人が乗客として乗り合わせており、当時の緊急脱出訓練に参加した経験をもとに自席近くにいた乗客らに脱出方法を指示していたという。

日航機側の乗員乗客に死者がでなかったのは偶然も重なった。着陸した日航機は滑走路上の海保機の尾部に真後ろから衝突し、乗り上げて通過していた。

経過報告によると、衝撃は「安全設計基準の想定を大きく超えるものだった可能性」があったものの、両機の位置関係や日航機の機体構造などによりコックピットや客室は大きな損壊を免れた。

また衝突で前脚のタイヤ部分が脱落したものの、支柱は折れなかったため、日航機の胴体部は地面との接触も避けられた。経過報告は「諸条件が違っていれば人的被害が拡大していた可能性があった」としている。

運輸安全委の調査の目的は責任追及ではなく、再発防止や被害軽減のための「教訓」を見いだすことだ。16年の新千歳の事故報告書では「一般利用者に手荷物を持たないことの周知を」と航空業界に呼びかけていた。

羽田事故の経過報告でも日航機からの脱出について「有用な教訓を引き出すことができる」と指摘する。

航空評論家の小林宏之氏は「機長らの指示が届かないなか、客室乗務員らは状況を冷静に見極めて適切な判断をした。定期的に行っている厳しい緊急脱出訓練が生きた」と評価する。

その上で「機内の詳細な状況がわかれば、具体的なケースを想定して行う航空各社の訓練内容の充実につながる。世界の航空関係者の関心も高く、運輸安全委は最終報告に向けて事故の原因究明だけでなく、事後対応も徹底して調査すべきだ」と話す。

羽田事故1年 「奇跡」の脱出、生きた教訓と重なった偶然(2日の日経新聞から)
航空評論家の小林宏之氏は「機長らの指示が届かないなか、客室乗務員らは状況を冷静に見極めて適切な判断をした。定期的に行っている厳しい緊急脱出訓練が生きた」と評価する。

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